ご神域、伏見稲荷大社とは

全国約3万社あるといわれる稲荷神社の総本宮であり
日本の経済、商売繁盛を支える、わが国最古の稲荷の大神様


ご神域、伏見稲荷大社とは

ご神域、伏見稲荷大社とは

日本中の商売の神々が集う“神聖な場所”

京都伏見区に位置し、ご神体である稲荷山を背後にした全国稲荷神社の総本山です。古くは稲荷=稲成りとして五穀豊穣の神様と祀られて来ましたが、織物などの産業が広がり始めた頃からは商売繁盛・家内安全の神様として信仰されるようになりました。その歴史は平安遷都よりも古い和銅4年(711)の創建と伝わっており、古来より商売繁盛以外にも安産や万病平癒、学業成就など人々の篤い信仰を集めて来ました。

青空のもと光る伏見稲荷大社の楼門
伏見稲荷は日本中のお稲荷さんや眷属さんが集い、各地へ派遣され、そして戻ってくる場所。そんな神聖な地を観光地化してはなりません。

今から約100年前に描かれた境内鳥観図

こちらは1925年に所蔵されていた伏見稲荷全境内名所図絵になります。蹴上から伏見桃山までが一枚に収まり、中央に稲荷山が描かれています。本殿から千本鳥居を経て一ノ峰へと続く山頂への道は階段や途中の社殿も丁寧に描かれています。

吉田初三郎「伏見稲荷全境内名所図絵(部分拡大)」
吉田初三郎「伏見稲荷全境内名所図絵(部分拡大)」出典:京都府立京都学・歴彩館 京の記憶アーカイブ
吉田初三郎「伏見稲荷全境内名所図絵(全図)」
(全体図)この時代の日本は大正14年頃にあたり、西洋文化が花開き、ラジオ放送が開始されたり普通選挙法が成立した頃でした。東海道線、奈良線には6両編成の客車が機関車に引かれ、京阪電車も2両編成で描かれています。伏見街道にはクラッシックな自動車が走っていて近代を象徴するものが描き込まれています。 東西の文化が融合しつつある大正時代らしさが見て取れます。

一方、境内の外に目を転じると、電車や街道も描かれ、鳥観図でありながらアクセスを示す地図のような役割も果たしています。きっと作者は稲荷山の山内マップにとどまらず、当時すでに人気のあった稲荷詣でを推進するために描いた道案内図であることがわかります。

全国稲荷神社の総本山   ~現在の稲荷山~

平日も観光客でごった返す伏見稲荷大社の境内

信仰目線で言えば全国に3万社あると言われる稲荷神社の総本宮で、全国から稲荷神社の関係者と参拝者が集う大変尊いご神域になりますが、残念なことに近年では外国人観光客が多く、平日からも長蛇の列と、ひっきりなしの渋滞を繰り返すイメージで信仰を趣旨とする参拝者の減少が顕著になっています。

私たちの暮らしに、信仰を取り戻そう

例えばあなたの町にも稲荷神社と名の付く神社があると思いますが、その大半がこの伏見稲荷から来た神様です。

朝の礼拝をする神主

新しく稲荷神社や祠をお祀りする際、神様の魂を移す「御霊入れ」がこの伏見稲荷から勧請 (かんじょう)される事が多く、日本中の稲荷神社に神様が遠征なさっています。

稲荷山を詣でる信者さんも、2010年代頃までは月に一回「おついたち」の日に来てくださっていましたが、近年の観光地化と夏場の酷暑化が起因し、年々参拝者が減少しています。さらに信仰者の高齢化が進み、お稲荷さんに手を合わせる人の減少が止まりません。


お稲荷さんのご利やくと心得

お稲荷さんは願いを叶えてくださるのが非常に早い神様です。しかしすぐに叶う願い事とゆっくり時間をかけて叶う願い事の差があるようです。

具体的なご利やくと言えば、五穀豊穣、商売繁盛、病気平癒、学業成就、家内安全が古くから有名ですが、信仰を続けているともっと他にも細密に叶うようになり、逆にこういうことをしていると「叶わない」という感覚も分かるようになります。

いずれにしても信仰は「神様との対話」ですので、自分が自分に対して許可が出せるまで、ゆっくり時間をかけて創り上げていくものだと感じます。

鳥居がたくさんある理由

意外と知られていないのが鳥居がたくさんある理由です。稲荷山山中には約一万基とも言われる鳥居が立てられていますが、すべて人々からの「祈願と感謝の証」として奉納されました。

新緑に朱塗りが映える千本鳥居

ご奉納の理由は“事業の成功”や“病気回復祈願”などで、有名大企業から個人まで願い事も鳥居の大きさも様々。うしろを見れば日本各地の住所が刻まれていることからその認知度の広さを知ることができます。

稲荷山の参道は階段が大半のため重機が入れません。そのため鳥居を立てる際はあらかじめ工房で一つひとつ部材を組んでから現地で組み上げるのだそう。今も昔も人力作業が中心なのだそうです。

伏見稲荷大社と稲荷山の関係

稲荷山から見下ろす京都市南部の景色
稲荷山のお茶屋さん、仁志むら亭からは京都南部が見渡せます。
向かいの山は明智光秀と羽柴秀吉の「天下分け目の大決戦」で有名な天王山が見えています。
山城国風土記イメージ

伏見稲荷大社の創建は『山城国風土記』の中で奈良時代(711年)とされていますが、それ以前から稲荷山は霊場として存在していたようです。この山は東山三十六峰にあり、北は比叡山に始まり南端を稲荷山で締めくくる連山になります。東山の山麓には古くから多くの神社や寺院が存在し、眺めが良いことから平安時代になって皇族や貴族の保養地となったそうです。

ちなみに稲荷山で修行するオダイさん(霊能者)によると、稲荷山の下社・中社・上社(三の峰、二の峰、一の峰)はすべて古墳ではないか?とのことです。上記から想像すると、京都市街を一望できる眺めと風通しの良い土地に古代豪族の英雄を埋葬したのが稲荷山の始まりではないか?という説を唱える人もいます。

いずれにしてもこのような話は稲荷創建の「伝説」として残っているだけで、明確に証明する資料はありません。だからこそ今でも稲荷山は神秘的でミステリアスな神域とされているのです。

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稲荷山の貴重な歴史的資産を後世へ

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