
お稲荷さんのごりやくは、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全のほか、安産や病気平癒、火の用心にいたるまであらゆる願いに対応できるという特徴があります。なぜこんなに守備範囲が広いのかと言うと、昔から農民、町民のみならず、武士など職業の違う幅広い身分階級の間で信仰されたのが理由ではないかと言われています。
近代になり、江戸時代には町のいたるところに、また昭和には自社ビルの屋上にお稲荷さんを祀る経営者も現れたことから、稲荷神社は近くにあり願いごとを頼みやすく叶えやすいということから、今日の「身近な神様」と呼ばれるようになって行ったと想像されます。
稲荷山のお塚をめぐれば分かりますが、漁や船舶、芸能などの専門業界からの信仰も篤く、知れば知るほど奥深くすそ野が広い神様であると感じます。

伏見稲荷大社の現在の住所をご存じでしょうか?京都市伏見区深草薮之内町となっています。この長い地名のうち一番古くから用いられている住所が「深草」になります。最も古くに記されたのが日本書紀で西暦500年代、日本では古墳時代後期から飛鳥時代初頭でした。ちなみに周辺からはスキや鍬などの木製耕具が出土され「深草弥生遺跡」とも呼ばれています。
古代日本で大和政権(ヤマト王権)が直轄支配した田地と倉庫、およびその拠点施設の総称を「屯倉(みやけ)」と呼びました。ここ深草はまさにそれで、租税米や物資、政治・軍事・経済が集結し、人と文化の集まる中心地でした。当時の地名は京都府ではなく「山城の国」となり、原文では山背国紀伊郡深草(やましろのくにきいのこおりふかくさ)と書かれ、現在の京都市南部・宇治市・城陽市・京田辺市などに当たります。

山の背、つまり大和からみて山の後ろにある土地と名づけられたことがわかります。ここには今でも巨椋池という地名が存在しますがここには元は大きな湖がありました。そして桂川と木津川、宇治川が合流する地域でもあるので、氾濫すれば水浸しになる湿地帯でもありました。伏見稲荷大社のある深草一帯は昔から水辺で草が生い茂るように生えていた水辺、しかも平地が広がっているものですから稲作にもってこいの土地だったのです。

標高わずか200mあまりの低山稲荷山がなぜ、「お山」と崇められるようになったのか?世界中の名だたる高峰と比べると低くて小さい山なのになぜか?とても興味があるところだと思います。それは人間が生きていくために欠かせない水や山の幸、木材の供給源である母なる山だったことに起因するのだそうです。

また、霊蹟としては稲荷山の場合、まず西から東へだんだんに高く連なる三ヶ峰の存在があります。その一つ一つが現在の一の峰、二の峰、三の峰であり、元は古墳であるとも言われています。それに連なる峰々が権太夫さんのある荒神峰などで知られる「修行の場」であったり、三ヶ峰を遥拝する「奉拝所」であったり、神が宿るとされた岩、「磐座(いわくら)」であったり、穢れを祓い清める「お滝場」であったことが神祀りの場となりました。これらの条件がそろったうえ、さらに里を見下ろす立地にあったことから昔から親しみを込めてここにお稲荷さんを祀るのが最適と思われ、神様が留まる場所、神奈備山(カンナビサン)と呼ばれるようになったのではないかと考えます。
日本人はなぜ、お稲荷さんに魅せられるのか?伏見稲荷大社とお山の信仰世界、稲荷大神にまつわる多くの謎と多様な歴史に分け入り、お稲荷さんの魅力に迫る本です。代表著者は伏見稲荷大社元宮司。
なぜ稲作に特化した穀物の神様が五穀豊穣から家内安全、病気治癒、合格祈願など、人々が豊かに生活を営み続けるために必要な願望成就の神としてあがめられるようになったのか?また宮司だけでなく様々な研究家が独自の観点から分析した稲荷信仰についての文献が掲載されていて、お稲荷さんを身近に感じることができます。神様をただ尊ぶだけでなく、民俗宗教を現代でも実践し、神との対話とは何か?を研究したい人にお勧めの一冊です。なかなかほかの本では書かれていないような秘密も盛り込まれており魅力があります。

現代では考えられないかもしれませんが、農耕が生活のすべてであった時代、穀物の豊作は国家の安泰と国民の繁栄に直結していました。そのため稲荷神社が願い事を総括する神様に発展していった歴史は想像に難しくはありません。
水口播種祭、田植え祭、抜穂祭、新嘗祭など、伏見稲荷大社の祭事ではたびたび稲作に関する名称が出てきます。稲作における節目節目に神様をお招きし、刈り取りまでの安泰を祈願していたのがよくわかります。
また作物の豊作・不作には天候が大きく影響しますから、天候祈願などもお稲荷さんに一手にお願いしたいと考えます。こうしてあれもこれもうまく行きますようにと祈りを込めてきたのが現在のお稲荷さんの頼みやすさにつながったのではないでしょうか?
別のページでも書きましたように、お稲荷さんは願掛けがほかの神社よりも早く叶う神様として有名です。しかし、自己中心的な願い事は叶ったとしても長くは続かず、努力不足は無に帰すというのが定番のようです。
もし稲荷神社を参拝後に、突然幸運のチャンスが舞い込んできたとしたら、感謝し、全力でまい進すればそれがやがて成果を出し、本当のごりやくに「成り得るかも知れない」というのがお稲荷さんの本当のご功力かもしれません。
そして叶ったら必ずお礼参りに行くという謙虚さと義理堅さも忘れてはいけません。それを忘れてしまうような人は成功しても長くは続かないからです。そして一回きりの願掛けよりも、長く信仰を続ければおのずと神様との向き合い方が身について来るので、観光よりも信仰をお勧めします。

毎年二月の初午や旧暦の初午の日に稲荷山に参拝し神様に手を合わせることを福詣りと呼びます。この日はお稲荷さん生誕の日とされ、この日に願い事をすると成就しやすく習い事は継続しやすいと言われて来ました。二月の極寒の冬山に願掛けに登るのですから、それなりの覚悟と忍耐が必要とされるため、その一念は通りやすいと考えられたのでしょう。
稲荷山は今でも滝行や断食の荒行をするための修行者が訪れている場所です。その方たちにあやかってお山してみるのも良いかもしれません。

私は長年稲荷信仰を続けていますが、続けていると眷属さんがついてきてくれます。(これは証明のしようがないので信じない人は無視してください)しかも熱心に信仰しているわけでもなく、わりと軽めの信仰で大丈夫です。
人間である以上、なんの苦労もなく学びのない人生は送れませんから、年に一度、多いときで3回くらいは試練が訪れます。ちょっと強めの、夜眠れなくなるくらいのトラブルです。でも最悪の状況からは救われているように感じています。
今までにも交通事故、金銭トラブル、人間関係で最悪の状況になりかけましたが寸前で助けが入りました。車にぶつかるはずが奇跡的に寸前で止まったり、良い弁護士さんが現れて濡れ衣が晴れたり、怖い人が急にいなくなったりとほとんどが急すぎて説明がつかず、潮目が変わったとしか言いようのない急展開でした。
これらはすべて眷属さんが守ってくださっていると思うようになったのはたまに姿を見るようになったからでした。とはいえ、私は霊能者ではありませんのではっきりは視えません。時々白いお姿を見せて「ここにいるよ」と安心させてくれているように思います。
あなた様のご先祖とご家族が大切に祀ってきたお塚を取材させてもらえませんか?ご参拝時に現地で同行取材させていただくか、メールのみでも構いません。取材内容は上記(掲載されている)の宙千稲荷大神様のような、神様とご先祖様との出会いと現在までのエピソードを教えていただければと思います。メールにてお気軽にご質問、ご応募ください。掲載無料です。